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京都地方裁判所 昭和56年(ワ)2017号 判決

主文

一  原告の甲事件及び乙事件の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、甲事件及び乙事件とも全部原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  甲事件について

1  原告

(一) 被告が原告に対して昭和五六年八月三一日になした重懲戒七年の処分は無効であることを確認する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

2  被告

(一) 原告の訴えを却下する。

(二) 右が認められないときは、

原告の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

二  乙事件について

1  原告

(一) 原告が被告の宗務役員たる地位にあることを確認する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

2  被告

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

(甲事件)

一  原告の請求の原因

1 当事者

(一) 被告は、本山本願寺を中心として、寺院、教会、その他の所属団体、僧侶及び檀徒、信徒を包括する宗教法人である。

(二) 原告は、被告に包括される福井教区第二組教覚寺の住職かつ代表役員である。

2 原告に対する懲戒処分

(一) 原告は、昭和五六年八月三一日、被告の審問院より、「主謀者曽我敏と共に、昭和五一年五月一五日、宗務所を不法占拠し、教団の秩序を紊乱した。」との理由で、被告の懲戒条例第二九条により、重懲戒七年の懲戒処分に処せられた(以下、「本件懲戒処分」という。)。原告は、これを不服として再審を求めたが、同年一〇月二九日、却下された。

(二) 被告の懲戒条例によると、重懲戒七年の懲戒処分に処せられた者は、自坊以外の場所で一切の僧侶としての活動ができなくなるばかりか、一切の役職を免ぜられ、住職としての地位も免ぜられる。原告が代表役員を務める教覚寺においては、住職が代表役員に就任する規則であるから、原告は、本件懲戒処分により、住職の地位及び代表役員の地位も免ぜられたことになる。また、原告は、単に自坊における活動にとどまらず、門徒、信徒らの自宅で行われる葬式や月参り、年忌法要等のほか、他の寺院での宗教活動によってその生活を支え、自坊を維持しているところ、原告にとって重懲戒の処分に処せられるということは、原告の宗教活動が制限されるにとどまらず、市民としての生活権を著しく制限されることになる。

3 本件懲戒処分の無効性

本件懲戒処分が右2の(二)のような内容のものである以上、懲戒処分をなすにあたっては、厳格さと慎重さが要求され、処分自体公平であり、かつ妥当なものであることが必要である。

しかるに、本件懲戒処分は、次の(一)ないし(四)のとおり、懲戒権の行使において条理に反し、また本件懲戒処分の対象となった事実を誤認しており、更に本件懲戒処分事実自体に照らして、また他の関係者に対する懲戒処分に比して著しく重いから、無効である。

(一) 本件懲戒処分は、昭和五五年一一月二二日に成立した即決和解に関連してなされた、紛争の関係者に対して報復的懲戒はしないという合意に反してなされたものである。すなわち、本件懲戒処分事実は、前記2の(一)記載のとおり昭和五一年五月に発生した事実であるが、その後、昭和五五年一一月四日に、当時の訴外大谷光暢を中心とする管長側と訴外嶺藤亮を中心とする内局側において和解が成立し、この和解において、嶺藤内局側は、大谷管長側に対して、「報復的行為をしない。」、「既に行われた懲戒処分の減免及び離脱寺院の復帰に関して事情を斟酌して善処することを約諾する。」旨誓約している。ところが、本件懲戒処分事実は、右和解の成立した後である昭和五六年三月一三日に至って初めて監察室から審問室に提訴され、同年八月三一日に本件懲戒処分が下されたものであり、明らかに右和解の際の合意に反する背信的行為であって無効である。

また、仮に右和解から直ちに懲戒処分を禁ずる効果はないとしても、右のような事情の下でなされた本件懲戒処分は、権利の濫用であって無効である。

(二) 右(一)のとおり、本件懲戒処分事実については、既に事実発生後五年を経過した後に提訴されたものであり、しかも、右(一)の和解の成立後に提訴されたことも考え併せれば、既に長期間放置されたことにより懲戒権は失効しているというべきであり、また、仮にそうでないとしても、右のような事情の下でなされた本件懲戒処分は、不当に重く無効である。

(三) 被告審問院の認定した本件懲戒処分事実は誤認である。すなわち、本件懲戒処分事実は、前記2の(一)のとおり、「主謀者曽我敏と共に宗務所を不法占拠した。」という事実であるが、右のような事実はなく、原告は、大谷光暢管長の命に従い曽我敏の下にいたときに同人らの宗務所不法占拠事件に巻き込まれ、宗務所にいたにすぎない。当時、原告は、心身が著しく不調であり、右事態を阻止したり、阻止のため説得することはできなかった。したがって、本件懲戒処分は、前提を欠くものであって、無効である。

(四)(1) 仮に、原告が宗務所不法占拠事件に巻き込まれたことが懲戒処分の対象になるとしても、その事実に対して重懲戒七年の懲戒処分は不当に重い。すなわち、被告の懲戒条例によると、重懲戒の事由は、〈1〉教義に対し異説を説えるもの、〈2〉秩序紊乱、〈3〉本尊、影像の典売、譲渡、〈4〉法宝物、寺有財産の典売、〈5〉仏相、影像、名号等の偽造、変造、〈6〉財産の不正使用等であり、いずれも教団の存立にかかわる行為が列挙されている。しかるに、本件懲戒処分事実は、教団の秩序の紊乱とされているものの、宗務所不法占拠事件は右に該当しないこと明らかであり、また本件では、原告を重懲戒に処し、かつその期間も最高である七年(懲戒条例第九条)としたものであり、本件懲戒処分は不当に重く無効である。

(2) また、本件懲戒処分は、宗務所不法占拠事件の他の関与者に対する処分と比べ不当に重い処分であって、公平を欠き、無効である。すなわち、宗務所不法占拠事件に関与した訴外五十川教応は軽懲戒三年猶予三年、同旭野正信は重懲戒三年、同大洞龍明は未処分であることに比べると、原告に対する本件懲戒処分は重きに失し、社会的妥当性を欠き、無効である。

4 よって、原告は、被告に対し、本件懲戒処分が無効であることの確認を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

1 請求の原因1、2の事実はいずれも認める。

2 同3、4はいずれも争う。

三  被告の本案前の抗弁及び主張

1 被告の本案前の抗弁

(一) 原告の本訴請求は、宗教法人たる被告の内部規律の問題である懲戒処分についての争いであり、本来司法権の及ぶものではない。

(二) 同請求は、懲戒処分の無効確認というものであり、右処分によって生ずる原、被告間の具体的法律関係の争いではないから、司法権の範囲外のものである。

2 被告の主張

(一)(1) 原告は、昭和五一年四月ころ、経理部副部長の職にあり、宗務役員としてその内部規律等についても熟知しうる立場にありながら、本来右規定に存しない参務事務取扱に就任し、これも規定上ありえない曽代敏宗務総長事務取扱に同調し、宗務所を不法に占拠し、経理部の金庫に穴を開ける等の行為をしたため、被告審問院により本件懲戒処分に処せられたもので、同処分は正当である。

(2) 原告の「参務事務取扱」就任の違法性について。

真宗大谷派の管長であった大谷光暢は、昭和五一年四月一四日、曽我敏を被告の宗務総長事務取扱並びに責任役員代務者に、原告及び旭野正信の両名を参務事務取扱並びに責任役員代務者に各任命し、同月二三日、五十川教応を参務事務取扱並びに責任役員代務者に任命し、右曽我らは、新内局が発足したと称した。

しかし、宗務総長事務取扱、参務事務取扱並びに責任役員代務者の任命は、次の(イ)ないし(ハ)の理由によって無効である。

(イ) 当時、被告の宗務総長、参務並びに責任役員には、嶺藤亮外がその地位にあり、そもそも宗務総長事務取扱、参務事務取扱、並びに責任役員代務者を置くべき前提を欠いていた。

(ロ) 宗務総長事務取扱及び参務事務取扱なる職制は、被告の宗憲、規則等の諸法規には全く存在しない。すなわち、仮に宗務総長が欠けた場合には、内局は総辞職をしなければならない(旧宗憲第四五条第二項)が、その場合にも内局は、新たに宗務総長が任命されるまで引き続いてその職務を行うのであり(同条第三項)、また参務が欠けた場合には、宗務総長が選定し管長が任命することになるのであって、宗務総長事務取扱及び参務事務取扱なる職制は認められていない。そもそも、宗務総長は、宗議会の推挙によって管長が任命すべきものであり(旧宗憲第三〇条、第一八条)、管長には実質的権限はなく、宗議会の推挙なくして管長が独自に宗務総長を任命する権限は全く有しないのであって、宗務総長の選任は宗議会の専権に属し、仮に宗務総長事務取扱なるものを選任できるとしても、それは宗議会がなしうるにすぎず、参務についても同様である。

また、参務は、内局の一員として被告の宗務行政の責任者の地位にあり、かような重要な役職についてこれまで「事務取扱」なるものが設けられた例は過去に全くない。

(ハ) 被告の責任役員代務者は、責任役員が、「死亡その他の事由に因って欠けた場合において、すみやかにその後任者を選ぶことができないとき」、又は「病気その他の事由によって三月以上その職務を行うことができないとき」に置くものである(規則第八条)が、嶺藤亮らは依然として責任役員の地位を有し、かつ宗務所において執務中であったから、右の要件に該当しない。

(二) 原告は、前記宗務所不法占拠事件以後現在に至るまで、自己の行為の非なることを反省せず、昭和五五年の前記和解以降も、被告及び本願寺の事務機構に存在しない「本願寺寺務所」に出入りしてその事務を行っており、この活動は、明らかに被告の業務を妨害し、又は不当に本願寺名を冒用して、「友教団活動」に従事しているものであり、本件懲戒処分は正当である。

四  被告の本案前の抗弁及び主張に対する原告の認否、並びに反論

1 被告の本案前の抗弁はいずれも争う。

懲戒処分が被告の内部規律の問題であるとしても、当該処分が被処分者の生活の基礎を覆す程度に重大であり、懲戒にかかる事実が存在しないか、その手続が著しく公正を欠くか、又は処分が著しく不当であるかして、懲戒処分を維持することが社会通念に反する場合には、司法権の対象になると解すべきである。

ところで、原告は、請求の原因2の(二)のとおり、本件懲戒処分によって市民としての生活権を著しく侵害されたことになり、また本件懲戒処分は、請求の原因3のとおり懲戒権の行使において条理に反し、また懲戒処分事実を誤認しており、更に本件懲戒処分事実自体に照らして、また他の関係者に対する懲戒処分に比して著しく重く不当であるから、本件懲戒処分は司法権の対象となると解すべきである。

2 被告の主張に対する認否、反論

(一) 被告の主張(一)は争う。

(1) 原告が参務事務取扱に就任したことについて。

(イ) 被告は、本訴において、本件懲戒処分の理由として原告が参務事務取扱に任命されたことをもあげるが、そもそも本件懲戒処分事実は、判定書に明示されているとおり、昭和五一年五月一五日に宗務所を不法占拠したことにより教団の秩序を紊乱したことだけであって、後で懲戒処分の理由を追加して主張するのは不当である。

(ロ) 原告が参務事務取扱に就任したこと、及び被告の内部規則に参務事務取扱なるものの定めがないことは認める。

しかし、原告が参務事務取扱に任命されたのは、当時の大谷光暢管長の命に従ったものであって、原告が自ら積極的に就任したものではないから、右の点を懲戒処分の理由とするのは不当である。すなわち、昭和五一年四月一〇日、原告は、大谷管長の呼出を受け、同人から嶺藤亮ほか内局を解任して新しい内局を構成するとの話をされた。しかし、原告は、内局の解任が可能かどうかについて疑問をもったため、この点について大谷管長に説明を求めたところ、同人は、弁護士とも十分研究し法的には問題ない旨回答し、なお原告がこの企ては到底成功しそうにない旨申し入れても、聞き入れられなかった。そこで、原告は、その場で任命に応諾せず、二、三日考えさせて欲しい旨大谷管長に伝え、回答を留保した。その後、原告は、長男や娘婿とも相談したところ、いずれも消極的意見であったが、はっきりと断わるという結論に至らず、時間かせぎの意味で休暇の届出をなし、同月一三日以降は宗務所に出勤しなかったが、右同日、再度大谷管長から呼び出され、同人から参務事務取扱の辞令を渡されて一応受諾したのである。このように、一般国民の天皇にも比すべき大谷管長から二度にわたって呼出を受けて面前で直接要請されれば、宗門の一員としてこれを拒否することを期待するのは到底不可能であり、これをもって非難するのは極めて酷なことである。しかも、原告は、参務事務取扱に任命された後も病院に入院しておりそれに相当する職務を行ったわけでなく、右のような事実をもって懲戒事由に該当するというのは不当である。

また、被告において「事務取扱」なるものは従来から慣行として行われており、現にかかるものも存在する。すなわち、昭和四九年八月ころ、久留米教務所移転問題にからむ不正事件で、当時の同所村上所長が懲戒免役になった後、後任の所長として当時参拝部付次長であった寺沢当三氏を「所長事務取扱」として同年末に派遣して所長業務に当らせたことがあるほか、昭和五七年一月一〇日には、朝倉智祐氏を福井別院副輪「事務取扱」に任命している。したがって、この点でも被告の主張は失当である。

(2) 宗務所不法占拠事件、及び原告がその際経理部の金庫に穴を開けたことについて。

原告が宗務所を不法占拠したことは否認する。この事情は、請求の原因3の(三)のとおりである。経理部の金庫に穴が開けられたことは知らない。

(二) 被告の主張(二)は争う。

(乙事件)

一  原告の請求の原因

1 当事者

(一) 被告は、本山本願寺を中心として、寺院、教会、その他の所属団体、僧侶及び檀徒、信徒を包括する宗教法人である。

(二) 原告は、昭和一六年六月一日に被告の福井教務所書記に採用され、その後被告の宗務役員に任命され、昭和四五年一〇月一日から被告宗務所の経理部附次長に昇進し、昭和五一年四月二四日当時まで経理部附次長並びに財産管理室主任の職にあって宗務にあたっていたものである。

2 原告に対する免役処分

(一) 原告は、昭和五一年四月二四日、免役処分に処せられた(免役処分とは、企業でいうところの解雇である。以下、「本件免役処分」という。)。

(二)(1) 宗務役員懲戒規程第二条には、1職務上の義務に違反し、又は過失若しくは怠慢の行為があったとき、2職務上であると否とを問わず、宗務役員の品位を傷つけ、若しくは信用を失い、又は宗門に迷惑を及ぼすような行為があったときに、宗務役員は懲戒を受けるものと定められているが、本件免役処分の理由は、右の第一号及び第二号に該当するということであった。

(2) 被告が主張する本件免役処分の理由に該当する原告の具体的行為とは、次のとおりである。

(イ) 昭和五一年四月一四日、病気のため一週間静養との医師の診断書を提出し、公休を届け出たにもかかわらず、市内の銀行に赴き、財務長予定者であると偽称して、宗派預金の凍結を図り、宗務運営に多大の迷惑を及ぼすべく企策した行為

(ロ) 禁止されている借入行為を承認する謀議に参画した行為

3 本件免役処分の無効性

原告は、右(イ)の事実を企策したことはなく、また右(ロ)の行為に参画したこともないから、本件免役処分は無効である。

4 よって、原告は、被告に対し、原告が被告の宗務役員たる地位にあることの確認を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否及び主張

1 請求の原因1、2の事実はいずれも認める。

2 同3は争う。原告は、昭和五一年四月ころ、宗務役員として経理部次長の職にあったものであるが、同月一四日、病気のため一週間静養との医師の診断書を提出し、公休を届け出たにもかかわらず、大谷光暢管長が宗議会の不信任決議もないのに内局を解任することは違法であることを十分承知しながら、嶺藤内局が解任されたとして上司の了解を受けることなく、被告の内部規則に存在しない参務事務取扱に就任し、市内の銀行に赴いて、財務長予定者として行動し、内局を更迭したから嶺藤内局に対して宗派預金の払戻をしないよう通知したものであり、宗務役員としての職務上の義務に違反するとともに、宗門に迷惑を及ぼすような行為を行ったことにより、同月二四日、本件免役処分に処せられたものである。

3 同4は争う。

なお、原告は、昭和五六年八月三一日、被告審問院から重懲戒七年の懲戒処分(甲事件の本件懲戒処分)を受け、再審申立も同月二九日却下されて同処分は確定し、被告の役職務を差免されたものであり、いずれにしても現在被告の宗務役員ではない。

三  被告の主張に対する原告の認否及び反論

被告の主張はいずれも争う。

1 原告が参務事務取扱に就任したことについて。

(一) そもそも、原告が参務事務取扱に任命されたことは、本件免役処分の当時その理由になっていなかったものであり、後で免役処分の理由を追加して主張するのは不当である。

(二) 原告が参務事務取扱に就任したこと、及び被告の内部規則に参務事務取扱なるものの定めがないことは認める。しかし、原告が参務事務取扱に任命されたのは、当時の大谷光暢管長の命に従ったものであって、原告は同人の命に素直に応諾したわけでなく、また、被告において「事務取扱」なるものは従来から慣行として行われており、現にかかるものも存在するから、いずれにせよ右の点をとらえて免役処分の理由とするのは不当である。その詳細は、甲事件の四(被告の本案前の抗弁及び主張に対する原告の認否、並びに反論)の2の(一)(1)、(ロ)のとおりである。

2 原告が市内の銀行に赴き、財務長予定者であると偽称して宗派預金の凍結を図り、宗務運営に多大の迷惑を及ぼすべく企策した行為について。

被告の主張は事実誤認である。すなわち、昭和五一年四月一三日、大谷光暢管長から参務事務取扱の辞令を受け取って後、原告は、曽我敏から、新しく事務取扱の事務を執行するためには金の問題が生ずるので京都市内の銀行を紹介して欲しい旨依頼され、翌一四日、福井銀行に赴いて曽我を紹介したうえで、銀行員に対し、「財務担当参務をやれと言われた。銀行にある預金を曽我の名前で引き出せるものか。」などと尋ねたのみである。右の話の中で原告が、「財務担当参務をやれと言われた。」旨述べたのは、前日(一三日)の出来事を説明したまでで、辞令を示して財務長予定者としての立場で発言したものではなく、また、話の内容は、親しい銀行に対してことの可能性を尋ねただけであり、預金の凍結を話したということはない。

3 禁止されている借入行為を承認する謀議に参画した行為について。

右事実の記載された経理部長訴外朝野慈顕作成の申告書(甲第四号証―乙事件の記録中のもの)の日付は昭和五一年四月一四日であるが、同日は原告が参務事務取扱の辞令を受け取った日の翌日で、右2のとおりその日の午前中から正午にかけて、原告は、曽我敏を福井銀行の関係者に会わせており、その後そのまま鞍間口病院に行ったのであって、右のような行為をする時間的余裕はなかった。

4 宗務役員懲戒委員会の手続の不当性について。

被告は、当時大谷光暢管長が嶺藤亮らの内局を解任し原告らを参務事務取扱に任命しようとしている動きを事前に察知し、その報復手段として原告の免役処分を考え、あらかじめ準備をして機をうかがっていたものであり、原告がたまたま福井銀行に赴いた事実をとらえて申告、上申、懲戒の報復手段を実行したものである。すなわち、本件では、経理部長朝野慈顕の申告に基づいて総務部長訴外能邨英士が役員懲戒の上申をしたのであるが、役員を懲戒(しかも免役)に付するか否かは極めて重要な事項であるにもかかわらず、上申書(乙第三号証の一―乙事件の記録中のもの)に日付が記載されていないこと自体、その手続の杜撰さを物語ると同時に、上申のなされた四月一四日以前に既に上申書が用意されており、経理部長作成の申告書が提出された後に総務部長が急いでこれを添付して上申したため、日付の記入を失念したものと思われ、またその前提となる申告書自体も、同日以前に既に用意されており、原告が福井銀行に行ったことを聞いて日付を補充して上申に間に合わせるため提出した疑いが十分ある。加えて、総務部長であった能邨英士は、上申書の作成にあたって事実関係について何ら調査しておらず、また宗務役員懲戒規定の処分内容である降級、減俸、譴責処分についても同様であって、欲しいままに原告に対し漫然と「免役処分相当」の意見を付しており、その意見の基準はきわめてあいまいである。

右の各点から見れば、本件免役処分は報復的処分以外の何ものでもなく、権利の濫用というほかない。

第三  証拠(省略)

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